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橋本努の音楽エッセイ 第9回「ウィーンのストリートが生み出したフュージョンの巨匠」

雑誌Actio 20103月号、23

 


 1970年代に一世を風靡したアメリカのフュージョン・バンド、「ウェザー・リポート」のキーボード奏者として知られるジョー・ザヴィヌル。誰もが口ずさみたくなるあのウェザーの数々のフレーズは、彼の作曲によるものだ。このバンドは結局、15年間の活動をもって1985年に解散したが、ウェザー・リポートへの神話的な関心は、ますます高まるばかりである。メンバーたちはその後どうなったのか。驚異的なベーシスト、ジャコ・パストリアスは早くに亡くなった。サックスのウェーン・ショーターの活躍は、その後もよく伝えられる。けれども、その後も鬼才ぶりを発揮しつづけたのは、ジョー・ザヴィヌルではないだろうか。

 70歳代という老境を迎えたにもかかわらず、ザヴィヌルは音楽のさらなる創造へと駆りたてられた。生まれ故郷のウィーンに戻り、ザヴィヌル・シンジケートというビッグ・バンドを結成すると、そこで才能に恵まれたミュージシャンたちを多数抜擢し、まったく未来的な汎民族的音楽を生み出している。ジャズやフュージョンといえば、私たちはとかくニューヨーク発の情報を主流とみなしがちだが、音楽の都ウィーンで、これほど熱いジャズが繰り広げられているというのは驚きだ。例えば、ザヴィヌルは、猥雑で多文化的なジャングルの世界を生み出すのだが、その雰囲気のなかでヴォコーダーによって創り出された小人の宇宙人の声が踊り出す。このモチーフに私は心底感動してしまった。

 ザヴィヌルはウェザー・リポート時代の自身の作品を自在に盛り込みながら、晩年になって音楽の至上の高みに達したのではないか。シンジケートが2004年に録音したライブ・アルバムに参加するアフリカ系の女性ヴォーカルの圧倒的な声量と民族の魂にも、圧倒的な魅力がある。胸の奥からじわじわと泣けてくるような感動だ。(Joe Zawinul & The Zawinul Syndicate, Vienna Nights: Live at Joe Zawinul’s Birdland, Birdjam BHM 4001-2)

 曲はどれも細部に至るまでよく練られた構成になっていて、演奏者たちの意気込みも並々ではない。こんなライブがどうして可能なのか、と目を丸くするくらいの覇気があって高揚する。2005年に録音された第二のライブ・アルバム「ブラウン・ストリート(Brown Street)」は、ザヴィヌルの最後の作品となってしまったが、こちらの作品で特筆すべきは、ますます台頭するヒスパニック系の音楽魂を大胆に取り入れ、これを至高のジャズに高めている点だ。そもそもジャズは、新たに勃興する民衆文化の前衛的な立ち位置を占めてきた。その新たなうねりは、ヒスパニックの拳と悲哀に宿るという、時代を見越した見事な芸術作品だ。死の直前まで自身の音楽を越える探究をつづけたザヴィヌルに、深い敬意を払いたい。

 1932年生まれのザヴィヌルは、ナチス支配下のウィーンで、路面電車の運転手をする父親の家庭で育てられた。幼くして音楽的才能を発揮し、ウィーン音楽院ではナチスのいう「ユーバーメンシュ(超人)」の一人に選ばれて英才教育をうけたりもしたが、クラシックでは独創性を発揮しなかった。開花したのは、根っからのストリートの人間としてなのだった。ストリートに繰り出す人間は、自己の内面を深く掘り下げる。その煌きに学びたい。